2009年8月18日火曜日

無。

あるひとが言った

「生まれてくることは選べない。
死ぬときくらい自分で選びたい。」

時代、環境、親、容姿、生きなきゃいけないということ。
選べません。

わたしは安楽死を認めるのは賛成派である。
世の中でどんな議論を醸し出しているかは分からないけど、

少なくとも
自分が今世の自分を終えるときは自分で決めたい。
しかし自分で決めても死なせてくれないこともあるのは
承知ですが。

2009年8月14日金曜日

大阪。ほぼ初体験。

特に見るモノもないので食い倒れを目的に。

最初の印象は、自転車の数の多さに
ここは中国ですか、と問いたくなった。
マナーもめちゃめちゃだし。

あとびっくりしたこと、

すごいスピードで自転車でやってきて、
見も知らぬひとにすごい剣幕で「どこ見てあるいとんじゃ、あほ」
というその神経。。。子供を二人乗せた男性でした。

そういう親は絶対理不尽な理由で自分の子供も怒鳴り散らします。
他人に対しての態度も子供はみています。そしてそれが当たり前
のことだという刷り込みが起こるでしょう。

そういう親に育てられた子供は歪みが生じます。どのような形
かはひとそれぞれです。同じようなことを他人にするか、
もしくは勘のいい子なら親が反面教師になる。でもその子は
親のことは嫌いになる。

いずれにせよ、様々な形で連鎖します。


一度ではなかったびで
かなりげんなりしましたし、衝撃でした。


東京よりもいい意味でも悪い意味でも
活気があり、人が生きているという印象を受けました。


東京と大阪。
低温と高温。


感情を出さず溜め込み、前触れなく人を刺してしまう。
感情をすぐ露わにして、喚き散らし人を刺してしまう。


そのような違いでしょう。


どちらがいいともわるいとも思いませんが。

2009年8月2日日曜日

つねに

競争社会の中に身を置かざるを得なかった気がする。

それはたぶん自分が望んだことではなかった。


昨今の様々な崩壊を目の当たりにし
自分の生き方含め
リセットをできるチャンスと捉えるか
しがみついてそのまま崩れるか


選択のときが訪れた。


ほんとの自由への第一歩。

2009年7月31日金曜日

無題。


田舎に住んでいるような気持ちです。


蝉の声しかきこえません。
こんな都会の真ん中なのに。


最近よく人が死にます。

そんなに大騒ぎすることでしょうか。。。
解き放たれたかったのだと思います、
精神がではなく魂が。

それは苦しみからかもしれないし、人によって違うと思いますが。


今世での学びは終わったわけですし、それ以上は生きられない
ので

お疲れさま!しばらくおやすみください〜
という感じではないでしょうか。



今日の画像:昔から一緒のラスカルと新参者のチェブラーシカ。

2009年7月21日火曜日

無題。

いやなことはいや

それはもう自分の中には取り込まない。


他人は他人なりの見解を述べるだけ。

誰が何を言おうと、
自分は自分でしか守れない。


だから自分で決めていけばいいと思う。
もちろん自己責任で。

2009年6月22日月曜日

気がつけば

さまざまことが重なることがあります。
精神的なこと、肉体の不調。
その中から何を学びどのエッセンスを抽出しようかと
考えます。

たくさんのひとがいて、ひとだけでなく情報や世間の空気など
包囲されている気分でいました。
しかし自分のコアを変えるのはもっと小さい世界なんだと。
たとえば家族や少数の大事なひとたち。
人生はそれだけで完結できるというか、
真の繋がりを持つのはそれだけでも貴重で大変なことです。

とても大事なのです、物質的にではなく、精神的に。

だからわたしは乱されることを非常にきらいます。
特に波動を乱されるのは。乱されない自分になるのが
当面の目標です。
いまやひとを判断するのに、時間も必要ないので
どうかわしていくか。
といってところでしょうか。

2009年6月14日日曜日

なむなむ。

生まれてきた時点で死ぬことは約束されています。
矛盾してるようで、必然であることは誰しも理解して
いることです。だから多かれ少なかれ「死」について
みな気になるのです。

目の前に生と死があって死を選ばなかったら、
それは果たして生きることを選んだことになるのだろうか。

生きたいと切に願うのとただただ恐怖感から死を選ばない
(選べない)のは違う気がします。
食事をして睡眠をとって呼吸をしてれば
それは生きてることになるのだろうけど、
より包括的且つ叙情的な意味に於ける生きてる定義でいうと、
死んでるようなひとは多い。


感じるということが生きているということ。