2008年10月31日金曜日

無題。

抱擁を相手の不確かさの確認と感じたことがありました。

自分が生きているという自己確認作業であり、
相互の感情の確認だとあまり思えなかったのです。
不安を取り除く自分の為以外のなにものにも感じられなかった。

愛情とかよく分からなかったし、
受け取り方も分からなかったし、今もよく分からない。
わがまま、超他力本願ですが、ただ埋めて欲しいのだと思う。
現実的に行動として向き合っている時だけなんです、自分の中での真実が。

そもそも自分だけを見てくれるなんてことあり得ないのは
分かっています、生物学的にも。
でもそれならば一緒にいる意味はないと思います。



「セックスと哲学」を見ました。
伝えたいことは私にはあまり汲み取れなかったのです。
ですが、ひとつぴんとくる言葉がありました。

「セックスは存在の苦痛を忘れること」



いかが思われますか?

2008年10月30日木曜日

無題。

ここ半月
夢の途中なのか分からないけれど、
とても鮮明に人生で関わってきた人たち
(生きている人も亡くなった人も両方)
が出てくる。

記憶ではなく経験したという実感だけあったりすること、
現在もしくは近い未来のことが
見えたりする。

まったく気にしていなかったことなのに
そこに呼び戻される。内容はどちらかというと
あまり良くないことの方が多い。

もしや死が近いのではないか?と
思うくらいに走馬燈状態です。
一日に何個ものストーリーが駆けめぐり
覚醒するとくたくたです。

2008年10月27日月曜日

無題。

くだらないことでいらいらしたり悲観するのなら
もっと他に目を向けたほうが
心満たされることが少しづつではあるけど、見つかるだろう。
というか見つかってきた。

今まで囚われすぎていて苦しかった。

世界は広いし、解き放たれるとき、より多くの未知に出逢う。

自分をどこまでも連れてってくれたり
愛が溢れていて、その愛に触れたり・・・。


そしてこの先
わたしの中に渦巻いている悪や憎しみを打ち消すほど、
むしろそんなことはどうでもいいと思えるくらいの愛しい魂に出会う。

あとすこし。

いまは出会うための修行に出ているようなものです。

2008年10月26日日曜日

最近の変化といえば。

意識はしていないのです。
でも起こったことに対する身体の反応が明らかに変わって
きている。食べたり寝たりどこぞへ出かけたり・・・
と当たり前のことにも身体が異常に反応する。

それは抑圧から由来している。つまりこころ。


ちゃんと自分がイメイジを以て臨んでいかないと、だめなようです。
いつ暴走してしまうか自分でも分かりません。
どちらにも振り切れてしまう気がします。


自分の周りには自分も含め、素直なのではなく正直すぎるひとが
多い。感覚は優れていて、しかしひとのことを分かるのにあまり
分かろうとしないきらいがある。すきなことには欲望が噴出する。
その表現でひとを傷つけます。何も考えてないから傷つけてしまいます。


いろいろなひとがいますが、
受け入れられないことは受け流す。
受け入れたと思わせるほうが賢いというか
無意味な闇を見なくていい。

2008年10月21日火曜日

気体。

「一緒にいて世界の幅を狭めるのではなく広げていきたいんだ」

宙に浮いているひとでした。



悔しいけど
上辺ではなくわたしの奥底を見透かされていたんだ。



浮遊もすれど、爆発力とも言える多大なエネルギーを持った


そう、水素のようなひとでした。

2008年10月20日月曜日

甲州街道。

無意味に苦しいからやめよう。

何も反応してくれるわけでもない。

それは悪意がないからでありましょう。

わたしには一番の悪意に感じます。

わたしがしたことに対する復讐にさえ感じます。

「男である」ことを開き直りという形で振りかざされるのは
もう遠い記憶だけで充分なんです。


自転車で風を感じるのは本当に久しぶりでありました。
忘れていたなにかまであと少しだった。

こうして狭間で漂うのです。

2008年10月19日日曜日

超新宿。

曜日の感覚があまりなくなっています。

新宿は国境を超えていました。
そしておぞましい人波。

土曜日だったんですね。


ずたぼろの携帯をようやく機種変。

そのついでに(?)デジカメを衝動買いしてしまいました。
RICOHのGX200。液晶ビューファインダーも購入。
今のデジカメ、1210万画素もあるのですね。。。
でも写真にプリントすると断然違いますもの。

人生を切り取っていきたいと思います。


あまり必要ではないけれど
さまざまなことを自分の中で二者択一をしようとしている。

どちらも選べないのであれば、
どちらも捨てて
三つ目を探すことに情熱を注いだ方が?
そんなアドバイスもあり

それもそうだなと思ったり。

確かにそのためにする努力の方が
追い立てられてする努力より意義がある気がする。

この瞬間に写真を撮って人生を切り取るように
別に決める必要もないと思ったり。


自分が居心地がいい場所に出会うのを待つのでいい。
気負わなくても、病まなくても、
無理することなく自然体でいれる場所が見つかる気がする。

2008年10月18日土曜日

ぼくを探しに。

「ぼくを探しに」という絵本が好きです。

人生のどの節で読んでも感じ方も違うし
与えてくれるものが違う。

足りない欠片を探しに旅に出ておりました。
でも、探すのをやめてしまうのもいいかな。
探しても今は見つからない。
まだ見つけられる自分ではないのかもしれない。


その欠けた部分を誰かに埋めてもらうのもよかろう。

自分自身のことだけど、ぜんぶ自分でなんとかしようと
しても、変えられないこともたくさんありました。

いつも分からなかった。

ただ欠けているそこを埋めたいがために
いろんなことをしてきた。
自分も誰も埋められなかったけど。。。


未来は分からないけれど、
今は自分が受け入れられる場所に
ただいればいいのではないかと思った。

それもそれで、試練がつきものですが・・・。

2008年10月16日木曜日

Insanity: doing the same thing over and over again
     and expecting different results.
                 
                 Albert Einstein

2008年10月15日水曜日

白昼。

手放したいのに
溜め込もうとする。


不安な気持ちを解消するために
詰め込んで
そして、重ねていく



ただ必死なだけなのに

ひとに
気を遣わせたり
意に反することをさせたり
してしまっていることもあると思う。

それは嘘を重ねていくことかもしれない。
イエスをノーと言わせるのと同じことを
させているのかもしれない。


自己嫌悪とともに
不毛に否定と肯定を繰り返してばかりです。

2008年10月11日土曜日

最近おもうこと。

いやなことでも

自分さえ我慢して口にしなければ
済むこともあるのだろう。

それが大人であるということなのでしょうか?


いつか裏切りが訪れる。
裏切りだと思っていなくても当人がそう感じたならば
それは紛れもなく裏切りだと思う、それは例え小さなことでも。

誰が悪いわけでもない。責めるわけでもない。


感じ取るこころがあればそんなことも起きないのに。


わたしがこういう生き方をしてきたように
みなそれぞれいままでそういうふうに生きてきた。

だから悪くないし、責めもしない。


でもわたしには受け入れられないみたい。