2009年5月30日土曜日

むだい。

現在、飽和状態でございます。
浮かびあがる感情をひとつひとつインベーダーゲームのように
殺していく作業にほとほと疲労気味なのです。
殺しても殺しても自分から消えていかないことは消えていかないし、
何故ゆえ?と考えるのも答えがなく馬鹿馬鹿しいと感じるようになってきました。

他人がどう感じているかはわかりませんが、
街にいても、周りを見回してみても
わたしにとっては目眩がするほど情報が多すぎて疎ましい。

クリアになる、
自分らしく生きていくためには
今がとてもフィットしていない、、、
という由々しき事態であります。

無論、他人には具体的な自分のおもひを公開したりしませんから
あまり理解を求めているわけではないですが。


常に変革が起きており、それは悪いことではない。
その変革に気付き、ついていけるかいけないかが問題です。

ひどく自分の心象が乱されているのは意味があることとも感じています。
それは自分自身の変革というよりも、
なにか抗えない大きな波に乗るための準備のようなもの。

それを感じとっているひとは心が波打っているのかもしれません。

2009年5月25日月曜日

無題。

不満足なひとよりも
満ち足りてしまっているひとのほうが

より死に近い。

2009年5月12日火曜日

阿修羅さんは不在。


「わたしはだめな子だ」
とこんなに刷り込んのは一体誰なんだろうか・・・
記憶にないのが困ったものだ。
自分にとって必要なことあらば潜在意識は絶対に覚えているはず。

いまのところお陰様で自分でも毎日
そのような刷り込み、取り込みを繰り返している。

探っていく作業をしていこうと思う。

何もかもが垂れ流されているこの社会が鬱陶しく
破壊的な気持ちになる。

モノを創り生み出すことは
何かにいい影響を受けて感じることも大事だけど、
もっとコアなところでは

やはり

自分をどれだけ内観できるか、、、
なのではないかと最近よりおもふ。

だからわたしは垂れ流されている
ものには興味がない。むしろ吐き気がするし、嫌気がさしている。

必要なことは自分で拾い上げるし
動物的に分かるものだ。

生きてくことも
創作することも
元を辿れば
同義な気がする。


これは戦いです、一生通じての。



今日の画像:東大寺はやはりすばらしかった。
イケメン阿修羅さんは上野にいらっしゃるとか、、、

2009年5月3日日曜日

無題。


世界平和を願う。



とてもぴんとこない響きだった。


大それたことでもなく、
まず自分が此処にいて
人々が個個にいて
繋がってたり、点だったり

それに感謝するということ。


そしてそこで改めて気付くのは
自分にはそんなに必要なものはないということ。


今日の画像:懐かしき風景。富士は元気か。