2008年12月25日木曜日

自分飛行。

緊張感を持って生活したいと思ってます。
それに必要なことは自分で分かってます。

他人がわたしの
何かを決めたり
否定したりしても

責任をとってくれるわけではない。

自分の人生は自分で責任をとって生きてきたし
これからもそうであろう。

嫌な思いをさせられたことに対しての
ある意味、復讐でもあると思ってます。

2008年12月21日日曜日

むだい。


一万回されても飽きなくてうれしいこと。

わたしも望まれれば、どんどんしてあげよう
と思う。



一万回されても、慣れなくて不愉快なこと。

百倍にして返してやろうと思う。
不愉快と感じなくなるのは、慣れるのではなく
その人に興味がまったくなくなって、
ただ何の感情も抱かなくなってしまうだけ。


後者は払拭できないものか・・・
わたしはすべてに於いて
慣れてしまうことに恐怖を感じてしまう。
慣れるということは
自分の中ではどちらかというとマイナスイメージ。
自分と他の間の何かが削ぎ落とされていく感じがする。



今日の画像:うちからはフジヤマが見えるのです。

2008年12月20日土曜日

無題。


自分が踏み込まれてもいいと思う相手には
本心を話そうとおもう。





今日の画像:早く午年こないかな。おうまはかわいい。

2008年12月19日金曜日

無題。

報われないと知りながら
がんばっていることって多い。

人生の大半はそうかも。


誰かどこかの山にもってって捨てて、
埋めてきて欲しいことやひとが多すぎます。


何事にもよくもわるくも激しく感情を抱くのは
元来、どこかで拒絶をしているからなのか、
その逆なのか。

2008年12月16日火曜日

そういえば


先月、目黒雅叙園にお泊まりしました。
様々候補はあったのですが、何となく思いつきで。。。
とても広いお部屋で・・・。

アラーキーばりの男子目線のノリーキー(怪しいモノではございません。
普通のオフィスレディィでございます。)にアー写を撮っていただきました。
ふたりとも楽しいことが大好きなので、麦酒を飲みながら調子に乗って
ばしゃばしゃやっておりました。私のGXくんも大活躍でした。


人生についても語ったりしたものです。


次回はやはり海外がいいですわね。


今日の画像:おきにいり。

2008年12月15日月曜日

やるべきこと。

何時間眠っていたのだろう。
寝たというより眠ったという表現が正しいと思われる。

目が覚めたら、身体にもこころにも違和感が。。。
言葉では説明しがたい。
自分のようで自分でなくてとても気持ち悪い。

はんぶんの自分になってしまったわたしはとまどっています。
大幅に何か変わったわけではないのか・・・
でもはんぶんになってしまったことは確かです。
二十五年間にこいちだったのが今日から急にはんぶんです。
長年連れ添った大好きな旦那が逝ってしまったときみたいな感じ
なんでしょうか。

手放したくなかったのは
しがみついていたのは私だったのでしょう。

それをなくすと自分が自分でなくなってしまうのではないか
という怖れがそうさせたのでしょう。

変わりたいと思う反面、変わってしまうのが寂しい気持ちで
いたのです。

2008年12月14日日曜日

エネルギー。



早起きをしてというか寝ないで神戸に向かいました。
尊敬いたす先生のセッション(セラピー)を受けるためです。
新大阪からまた電車に揺られ神戸某所のマンションへ・・・。

大々的には全くやってなくて、生徒であるというのと
東京の先生のお口添えもありセッションを受けることができました。
ひらめいたから言ってみたのですが、とりあえず言ってみるものです。
偶然にもわたしの次のクライアントでそれ以降はもう自分での
セッションはやらないと決意していたそう。なんともラッキーです。

体感した感想は、自分が抜け殻になったのではなく、
自分の中からひとまわり小さい感情を持った人間が引っ張り出された感じ。
不思議な感覚でずっとぼんやりしてます。

そしてついでにかたこと電車を乗り継いでわたしの原点の鞍馬に行きました。
ついでにと書きましたが、とっても遠いのです。
サニーデイサービスの「LOVE ALBUM」を聴きながらの叡山電鉄はちぐはぐで
使いものにならない頭の隅っこでくすっと笑っちゃいました。
叡山電鉄はすきです。思い出深いのもありますが、森に食い込んでいく感じ
がいいのです。

鞍馬神社に到着したのはもう夕方。
本殿に行くまでの階段は結構大変で、歩いてるそばから筋肉痛でした・・・。


特に負の感情が抜け落ちてしまいました。
こころがからっぽです。
まっさらなただ本来の自分に戻っただけなのだよ。
そしてまっさらなこころで感じるのだよ。
ほしいものや今まで必要だったものが急にいらなくなるのかな。
大切なことに気付くかな。


今日の画像:本殿前。この真ん中がパワーが強いと言われていて
瞑想するひとなどいるらしい。相当恥ずかしいと思われますが。。。

2008年12月6日土曜日

無題。

求められるところにいくのです。


だれしも不用意な無意識な発言で
手にはいるはずのものを失ってしまうことが
あるのだろう。


言葉はわかりやすい表現のツールです。
不愉快を感じることもあります。
凶器でもあります。

だから言葉をそのまま信じることはできないのです。


無意識の部分まで繋がっていられる人と
一緒にいられるのが極上なのかもしれません。

2008年12月4日木曜日

無題。

絶妙なタイミング。。。


やはり見透かされているのかしら、わたし。

2008年12月3日水曜日

無題。

自分でも驚きですけど
すきな誠実な殿方にがちがちに束縛されるのは好きみたいです。
最近思うのです。

その反面、自分は相手にされる千倍くらい束縛したい
と思うのでしょうが。

それらが快感な関係って果たしてありえるのでしょうか。


早く庭の石と苔を愛でるような生活をしたいものです(婆)

2008年12月2日火曜日

無題。

気を遣われるとどうしていいかわからないです。
それに気がついてしまうから、疲れます。

言葉をすり替えているだけで、言ってることは同じだし。
ほんとに思ってるのとは違うとより強く感じてしまう。

それは言葉の薄っぺらさや無理してるから故起こる過剰さ。


仮面をかぶっても、仕方ない。。。
行動や発言は変えられても
思考は簡単に変えられるものではありません。
無理しても意味がないと思われます。


気を遣わなくても遣われなくても
自然に心地よくいられるひともいるから、
それがいいのかなと思う。


リセット。

2008年12月1日月曜日

無題。

落ち着いているわけでも
劇的に変わったわけでもない。

醜い気持ちを携えたまま生きていること
に変わりはない。

誰かの前では

誤魔化したり

隠したり

見て見ぬふりをして

感じないように見せるのがうまくなっただけです。


買い被りすぎです、わたしを。

2008年11月29日土曜日

新月

です。

時間帯によって願い事が叶いやすかったり、
逆に判断を誤ることがあります。
わたしは妙に敏感になります。


いまは日常生活の部分(仕事やら)は別として、
いろいろ手放せている状態だから、
自分の真ん中で考えられます。


やはりわたしだけのことでいうと行き着くところは
自分を受け入れないと誰も受け入れられないということです。
自分の気持ちがよく分からず、裏腹な行動をしてしまったり、
ひとを死んでしまえばいいとまで思うのも結局は
自己不信の裏返しのように思えます。
そのことで自己嫌悪になるとはまさに悪循環なのです。

どこかで流れを変えなければ。

足を引っ張るモノを排除することができればいいですが
なかなか難しいです。見方や受け取り方を変える方法なら
あるみたいです。

もっと早く闇があることに、そこに光を採り入れなければ
ならなかったことに気がつかなかったのだろう。。。
闇の中にいたから自分に闇があると分からなかった。

2008年11月24日月曜日

観音さま。

あたまを撫で撫でされるのが好きです。
えさを与えられた感じで降参です。

だから
動物にも傷付いた女子にも好きな殿方にもわたしは撫で撫でします。

良くも悪くも男女を超えない、且つエロい行為な気もします。

そこには紛れもなく愛がないと為されない行為ですもの。

2008年11月23日日曜日

無題。


なんて刹那的に生きているのでしょうか。
別に悪いこととは思いません。
心にすとんと落ちてきたのですから。

腑に落ちるという言葉の意味の深さに気づく。
頭で理解したり、納得したりするというのとは違うのです。
ほんとに心の真ん中にすとんと落ちる感覚。
臓物に染み込まないとそれは、体感したとは言えないのです。

消してしまいたいことだってたくさんあります。


生まれてきたらいつか死ぬのです。
明日かもしれないし五十年後かもしれない。

これからは情熱に従って生きるだけです。


今日の画像:諸事情によりうしを激写。うしも休むんですね。

2008年11月19日水曜日

無題。

とに自分に必要なものはそんなにたくさんないはず。

情報に手が届きすぎて気持ち悪い世の中です。
そして節操なくそれに貪りつくひとはもっと気持ち悪い。

見えないから分からないからいい部分もあるのに。

わたしはよく注意されるけど、
自分のことを知りたいと思うほうが健全とまで言わなくても自然だと思う。
自分あっての他人だし世の中だと思うから。

必要以上に意味なくひとに興味津々なひとは苦手です。
あとなんでも感想と評価を述べないと気が済まないひと・・・。
周りのひとは疲れると思うんだけど。

少なくともわたしとは相容れない。

2008年11月18日火曜日

オーラというか

ひとの住んでいる空間はその人の意志が
詰まった場所でもある。すきなものがたくさんあるし
それに囲まれたいから、自分の色の空間を創っていく。


それが逆にある人にとっては何故だか分からないけど
とてもいらいらする場所だったりする。
詰まっているから、さまざま。


わたしの感情を逆撫でする場所なんだろうか。
空気さえも淀んで見える。
何かよくないのではと感じたり。

人は人なんですが
わたしはなんとなく新しいステージに立ちたいと
思っているから余計に感じる。

2008年11月17日月曜日

無題。

自分を見透かされるのがとても苦手でした。
まるでまるはだかですもの。

思うんです。
わたしのことを経験からではなく
分かってしまうのは、怖いけど、うれしいことでもあります。

距離でも一緒に過ごす時間でもなく、
何か繋がっている同じ宇宙を持っているひと。
元々近かったのか、わたしが追いついてしまったのだろうか。


わたしの汚い部分も全部ひっくるめてすべてを認めてくれている。
言葉や態度ではない。言葉にする必要すらないのです。


いま自分の生活の中、ひとと接する中でいつものように
沸々ととても醜い、否定したい感情が起こっても、
そのひとが降りてきて大丈夫だよって深い安心感で包んでくれます。
いつも褒めてくれます。

突然気がついてしまいました。

それと同時に
もうひとつ分かってしまっていることがありますが・・・。

2008年11月12日水曜日

むだい。

愛しているという言葉が的確かどうかは分かりませんが
糸で繋がっているというのはほんとのようです。

心で感じる色はどんな色なんでしょうか。
情熱の赤だなんて野暮なことは言いません。


いつでもそちらに飛んでいけるのでしょう。



そのような感情を知らなかったのですか。
知ってるだけじゃだめなんですね。

2008年11月10日月曜日

無題。

ニュースをぼんやり見てて、
にこにこしながら喋ってるアナウンサーを見て単純に
「このひとなんで笑ってるんだろう?」と衝撃的に思いました。
たぶん内容からしてもちっとも楽しくも嬉しくもないのに笑ってるんです。

そこに吐き気がするほどの不気味さを感じました。

仕事だからと言ってしまえばそうですし、
自分でも同じようなことを日日経験していますが。

みんな自分に対しての無意識の真摯さを知らぬうちに
失ってしまってきているのだろう。
大人になると自分を誤魔化すのが巧くなってくるから、
感情が切り離され自分が意図してなくても
意識的に行わなければならないことが
無意識にできてしまうのです。

眠らせている場合ではない。。。
少しずつ進んでいこう。

2008年11月9日日曜日

ここに。

二月にセドナに行きました。

そこのある場所でとても懐かしい気持ちになりました。

「ただいま」と呟きました。


暗黒星雲、宇宙の果て。

自分の感覚は「間違ってなかった」



感覚だけで推測していたことが
ようやく確信になりました。

2008年11月8日土曜日

無題。

強く想うことがあります。
死んでしまうなんて思考は皆無なんですが。

とても精神不安定な時期が続いていたときに、
光のように頭を突き抜けたこと・・・

わたしには肉体が邪魔で仕方ないのです。
肉体があるから苦しむんです。

自分の魂は大好きなのに。

肉体があるから人と容姿を比べられたり、比べられたり
コンプレックスを感じたり、
言葉でのコミュニケーションを強いられて傷ついたりします。

しかしながら、今更肉体がなく生かされてくことは無理なんです。

自分を高める方法を探しています。

2008年11月6日木曜日

無題。

かなり前から気がついていました。
スイッチが入る瞬間もなんとなく・・・
負の波動を受けて感情だけが暴走します。
自分にも他にもなぜ?を投げかけて、
その先のビコーズにはなかなかありつけません。

また厄介なことにオンになってしまったものを
オフにする術はわからないのです。


特別なひとと空間に逢いにゆきます。
わたしはたぶんそこでそこに流れている空気を感じ、
その生き方を選ぶでしょう。必然的に。


手放すことによって
自分を自分の中からではない観点から角度から見ていくのです。

2008年11月3日月曜日

ザ・シークレットのように。

引き寄せの法則。

私も読みましたというか見ました。

とても大きな出来事ではなくても
日常で起こっているなと思います。

引き寄せることができるならば
遠ざけることもできるはずなのです。

わたしが忘れていたこと。
どこかに置いてきてしまっていたこと、、、

それは

何か自分に降りかかってきたときの
選択の仕方です。

今まで無意識に蓋をするように一番大事なことを
無視してました。

選択をするにあたり、どういう感情が起こるか
ということです。

うれしい、かなしい、たのしい、みじめだ、くやしい
しっとする、にくい、いとおしい、ゆたかだ。。。

たくさんあるけど、まず選択することによって
自分がどのような感情を抱くか、、、が大事なんです。

ひとまず他人のことは置いておいて
自分の感情に問うた結果、自分が正の感情を抱ける選択
をするのを第一に考えること。

今までとても裏腹に生きてきたことに気がつきました。
何がそうさせてたかもなんとなく分かってきた。

すべて自己不信の裏返しだったり、人間不信だったり。



「感情が伴う思考は形になる」と書いてありました。

確かに、今の今、この瞬間にやはり自分に必要なエネルギーを
持っている人を引き寄せてしまったし。。。

2008年10月31日金曜日

無題。

抱擁を相手の不確かさの確認と感じたことがありました。

自分が生きているという自己確認作業であり、
相互の感情の確認だとあまり思えなかったのです。
不安を取り除く自分の為以外のなにものにも感じられなかった。

愛情とかよく分からなかったし、
受け取り方も分からなかったし、今もよく分からない。
わがまま、超他力本願ですが、ただ埋めて欲しいのだと思う。
現実的に行動として向き合っている時だけなんです、自分の中での真実が。

そもそも自分だけを見てくれるなんてことあり得ないのは
分かっています、生物学的にも。
でもそれならば一緒にいる意味はないと思います。



「セックスと哲学」を見ました。
伝えたいことは私にはあまり汲み取れなかったのです。
ですが、ひとつぴんとくる言葉がありました。

「セックスは存在の苦痛を忘れること」



いかが思われますか?

2008年10月30日木曜日

無題。

ここ半月
夢の途中なのか分からないけれど、
とても鮮明に人生で関わってきた人たち
(生きている人も亡くなった人も両方)
が出てくる。

記憶ではなく経験したという実感だけあったりすること、
現在もしくは近い未来のことが
見えたりする。

まったく気にしていなかったことなのに
そこに呼び戻される。内容はどちらかというと
あまり良くないことの方が多い。

もしや死が近いのではないか?と
思うくらいに走馬燈状態です。
一日に何個ものストーリーが駆けめぐり
覚醒するとくたくたです。

2008年10月27日月曜日

無題。

くだらないことでいらいらしたり悲観するのなら
もっと他に目を向けたほうが
心満たされることが少しづつではあるけど、見つかるだろう。
というか見つかってきた。

今まで囚われすぎていて苦しかった。

世界は広いし、解き放たれるとき、より多くの未知に出逢う。

自分をどこまでも連れてってくれたり
愛が溢れていて、その愛に触れたり・・・。


そしてこの先
わたしの中に渦巻いている悪や憎しみを打ち消すほど、
むしろそんなことはどうでもいいと思えるくらいの愛しい魂に出会う。

あとすこし。

いまは出会うための修行に出ているようなものです。

2008年10月26日日曜日

最近の変化といえば。

意識はしていないのです。
でも起こったことに対する身体の反応が明らかに変わって
きている。食べたり寝たりどこぞへ出かけたり・・・
と当たり前のことにも身体が異常に反応する。

それは抑圧から由来している。つまりこころ。


ちゃんと自分がイメイジを以て臨んでいかないと、だめなようです。
いつ暴走してしまうか自分でも分かりません。
どちらにも振り切れてしまう気がします。


自分の周りには自分も含め、素直なのではなく正直すぎるひとが
多い。感覚は優れていて、しかしひとのことを分かるのにあまり
分かろうとしないきらいがある。すきなことには欲望が噴出する。
その表現でひとを傷つけます。何も考えてないから傷つけてしまいます。


いろいろなひとがいますが、
受け入れられないことは受け流す。
受け入れたと思わせるほうが賢いというか
無意味な闇を見なくていい。

2008年10月21日火曜日

気体。

「一緒にいて世界の幅を狭めるのではなく広げていきたいんだ」

宙に浮いているひとでした。



悔しいけど
上辺ではなくわたしの奥底を見透かされていたんだ。



浮遊もすれど、爆発力とも言える多大なエネルギーを持った


そう、水素のようなひとでした。

2008年10月20日月曜日

甲州街道。

無意味に苦しいからやめよう。

何も反応してくれるわけでもない。

それは悪意がないからでありましょう。

わたしには一番の悪意に感じます。

わたしがしたことに対する復讐にさえ感じます。

「男である」ことを開き直りという形で振りかざされるのは
もう遠い記憶だけで充分なんです。


自転車で風を感じるのは本当に久しぶりでありました。
忘れていたなにかまであと少しだった。

こうして狭間で漂うのです。

2008年10月19日日曜日

超新宿。

曜日の感覚があまりなくなっています。

新宿は国境を超えていました。
そしておぞましい人波。

土曜日だったんですね。


ずたぼろの携帯をようやく機種変。

そのついでに(?)デジカメを衝動買いしてしまいました。
RICOHのGX200。液晶ビューファインダーも購入。
今のデジカメ、1210万画素もあるのですね。。。
でも写真にプリントすると断然違いますもの。

人生を切り取っていきたいと思います。


あまり必要ではないけれど
さまざまなことを自分の中で二者択一をしようとしている。

どちらも選べないのであれば、
どちらも捨てて
三つ目を探すことに情熱を注いだ方が?
そんなアドバイスもあり

それもそうだなと思ったり。

確かにそのためにする努力の方が
追い立てられてする努力より意義がある気がする。

この瞬間に写真を撮って人生を切り取るように
別に決める必要もないと思ったり。


自分が居心地がいい場所に出会うのを待つのでいい。
気負わなくても、病まなくても、
無理することなく自然体でいれる場所が見つかる気がする。

2008年10月18日土曜日

ぼくを探しに。

「ぼくを探しに」という絵本が好きです。

人生のどの節で読んでも感じ方も違うし
与えてくれるものが違う。

足りない欠片を探しに旅に出ておりました。
でも、探すのをやめてしまうのもいいかな。
探しても今は見つからない。
まだ見つけられる自分ではないのかもしれない。


その欠けた部分を誰かに埋めてもらうのもよかろう。

自分自身のことだけど、ぜんぶ自分でなんとかしようと
しても、変えられないこともたくさんありました。

いつも分からなかった。

ただ欠けているそこを埋めたいがために
いろんなことをしてきた。
自分も誰も埋められなかったけど。。。


未来は分からないけれど、
今は自分が受け入れられる場所に
ただいればいいのではないかと思った。

それもそれで、試練がつきものですが・・・。

2008年10月16日木曜日

Insanity: doing the same thing over and over again
     and expecting different results.
                 
                 Albert Einstein

2008年10月15日水曜日

白昼。

手放したいのに
溜め込もうとする。


不安な気持ちを解消するために
詰め込んで
そして、重ねていく



ただ必死なだけなのに

ひとに
気を遣わせたり
意に反することをさせたり
してしまっていることもあると思う。

それは嘘を重ねていくことかもしれない。
イエスをノーと言わせるのと同じことを
させているのかもしれない。


自己嫌悪とともに
不毛に否定と肯定を繰り返してばかりです。

2008年10月11日土曜日

最近おもうこと。

いやなことでも

自分さえ我慢して口にしなければ
済むこともあるのだろう。

それが大人であるということなのでしょうか?


いつか裏切りが訪れる。
裏切りだと思っていなくても当人がそう感じたならば
それは紛れもなく裏切りだと思う、それは例え小さなことでも。

誰が悪いわけでもない。責めるわけでもない。


感じ取るこころがあればそんなことも起きないのに。


わたしがこういう生き方をしてきたように
みなそれぞれいままでそういうふうに生きてきた。

だから悪くないし、責めもしない。


でもわたしには受け入れられないみたい。

2008年9月22日月曜日

無題。

ひとにしてしまって
自分が気になっていることは
やはり相手も気にしていることが多い。

それが感じ取れない人は
また同じことを繰り返す。


ものの感じ方というか
受け取り方が自分に合わない人は
やっぱり嫌な思いをさせられる。


説明をすることでもない。


死んでも分からないのであろう。


摩耗することはしたくない。


わたしにとっては必要のない人間であるというだけです。

2008年9月18日木曜日

対峙。

生きていく上で

どうしていきたい、どうなりたい

ために

みな、自分の気持ちを押し通して生きていくのでしょうか。


わたしには吐き気がするほど「いや」と認識できることはあります。


しかし



気持ちの中で明確なものを掴めたことがないのだと思われます。

ごく当たり前の出来事にし対しても他人との受け取り方の違いや
感情の鬱積の仕方が、苦悩を生むこと。

他人の百倍、確認作業を繰り返している。


やはり違う…


違うことはよしとしても、なぜかが分からない。
理由でなくとも理屈がほしいのです。

自分はゴールを目指して生きてるのではないと思った。
それはスタートがわからなかったから。


漠然と未来に不安を感じる。


必死で前に進んでも何もない気がしている。

2008年9月16日火曜日

おとといのはなし。


目黒、駒場公園の中にある、前田侯爵邸が開放されているとのことで
写真を撮りにいきました。いや、撮られにいきました。

なんて広い敷地なんでしょうか・・・メイドさんの和室のお部屋でも
いいので住みたいです。


いつまで経っても写真を撮られるのは苦手です。。。
切り取られるのが結構恐怖です。
さまざまな角度から比較されるのもなんか。。。



今日の画像:見せられない代物もたくさんありますが一枚。

2008年9月14日日曜日

実は

読書も映画観賞ももあまり好んではいたしません。
意識が拡散してるので、じっとしているのが得意ではないのです。

ここ一週間は一日映画一本、そしてその合間には読書をしています。
別に大意はないと思っていたのですが、
自分を救ってくれる何かに出会いたいと思う気持ちから貪っているのでしょう。

いつも偶然は必然だと考えています。
それを自分で引き寄せる術も分かっています。

「考えのない」のは困りますが、
「考える」ことだけが一概にいいとも思えない今日この頃です。

2008年9月8日月曜日

むだい。

自分のことを知ることはこわいことだ。
分からないことを知りたいと思う。

知ってしまうことを望んだのは誰でもない自分です。


与えられる=生を受ける。使命を受ける。
自分の本来の目的を思い出したい。


生きていくうえで選択できることは少ない。

2008年9月6日土曜日

無印。

自分の心の表面にあることではなく

今に影響を及ぼす
自分では気がつかない奥底にとどまっていること。



なぜ
こんなふうに思ってしまうのだろう。


ゴールがあることに向かうのは簡単だ。


わたしには分からない。
差し出される理想にもっと追いつくためには
いったいどこまでゆけばいいのだろうか。

2008年8月31日日曜日

無題。

自分にも他人にも

深入りしたくないと思います。

2008年8月30日土曜日

雷雨。

雷が鳴る度に
不安な気持ちが増していく。

何かとても大きなものに動かされたり、自由を奪われたり
してた気がした。

でも実際はちがくて
自分の小さな心の底に溜まっている得体の知れない
ものが吐き出せなくて大きな悲鳴を上げていた。

それが何なのか分からない。


受け入れられないということは、理由が分かっても
変えられないことだろう。
でもとても理由を求めている。

理屈でないことの理由を求めるなんて。

2008年8月28日木曜日

愛情とは

わかりにくいもの。
受け取りにくいもの。
押しつけるものでもない。
言葉だったり言葉だけではなかったり。
遠くから眺めてるものであったりもする。

感じ方も十人十色であります。


自分にとって心地の良い愛情の形をいま一度考えてみる。


難しいです。

2008年8月19日火曜日

昨今は

物事に囚われすぎていてとてもぐったりしてました。

いまがすべてではないし
自分はもっと自由なはずなのです。


時々うっかり自分がなくなってしまいます。
人の言葉で、引き戻されることが多い。




いまの自分のままでいられることが大事だな、
と思います。

2008年8月16日土曜日

無題。

もやもやしたり考え事をするときは
よく無心で歩きます。身体を動かしていると思考が目覚めます。
その健やかな思考の状態で自分のほんとの気持ちを確かめるのです。


いやなものはいやだな〜とおもった。
そんなことを思う自分もすごくいやだなと。

いつものことです・・・

これを乗り越えると何も感じなくなるのです。
何も感じなくなるということは、
愛とか切なさとか渇望とかぜんぶなくなって
しまうということです。


楽しい日日をなくしてしまった。
なくしてから初めて気付くって実感する。

2008年8月15日金曜日

無題。

矛盾に対して

満足し、反発する。

2008年8月12日火曜日

むだい。

意識が勝手に旅をします。
心の奥深くに沈んでいるものが明るみになります。

自分のことは分からない、だからこそ知りたい・・・
と思いつつも知らされるのは残酷なことだったりする。



別に わたしの場合
よりよい明日のために今日を生きるのではなく
今が何よりも無知で無痛でいたい。



必要悪はなくていい。

避けられるべき必要悪と背中合わせでいなければならないのなら
わたしは当たり前のようにそれは選ばないだろう。
今を生かしていただくためには。。。

2008年8月11日月曜日

面倒くさいの意味。

くすぶっていること。
抱えきれないこと。


自分の信念だけで、コントロールできないのは
確かにとっても疲れると思う。

そして、自分の気持ちはなかなか言えないものです。


ルールも聖域も必要・・・
意味と意義を持って歩んでいけるためには。


そうでないと、人との繋がりや共有していく価値が
感じられなくなる気がする。ひとりでは生きていけない
けれど、ふたりやみんなの意味が失われてしまう。

2008年8月10日日曜日

西瓜へのおもひ。

毎年このような内容のことを書いているような気がしますが、

丸ごとすいかが食べたいのです。
ひとりで暮らすようになるとなかなかお目にはかかれません。

一度、ハハがすいかまるまる一個送ってきて、冷蔵庫にどうやっても
入らず、一日すいかを食べ続けるはめになったことがあった。
今思い出したけど、お風呂に水を張って氷をたんと入れて
冷やしたっけ。

一夏京都で過ごしたときもまたハハがすいか一玉送ってきた。

あの頃はすべてのことにストイックだったし、迷いもなくて
とても楽しかったなぁ。辛いこともあったけど
ほんと幸せだった。



それにしてもうちのハハはいつも変なタイミングでいろんなモノを送ってくる人だな。
現役がいるにも関わらず、お誕生日にでかい冷蔵庫とか・・・。

2008年8月9日土曜日

無題。

明日からしばらくおやすみします。なつやすみってやつです。


夏らしいことをまだひとつも実行してないような気がします。

やりたいこと、やっておきたいこと、考えたいこと
会いたい人・・・


たくさんあるんです。


ちょうど一年前のことを急に思い出しました。
無謀なことは苦しいけど、楽しいのです。
でも結局何も選べなかったのです。

2008年8月7日木曜日

無題。

知らぬ存ぜぬ

でいたい。


知りたいと思うことは幸せですが
知らないでいることも幸せなのです。

2008年8月5日火曜日

熱帯夜。

人間としての普通の営みができていないと
生きていることが実感できないものです。

ねむる、たべる、しゃべる。

これらが何の為なのかが分からなくなります。


必要か、不必要か。


生きてくために必要?
「ため」ではなく、生きるのに必要?



自分を自分として認めるとき
そんなときが果たして訪れるのだろうか。


自分を表現することはまだまだ全然先のこと。

2008年8月1日金曜日

ゆめ。

人生で一番こわいゆめをみた。

左の太ももがぱっくり裂けて、
両腕にたくさん穴があいて、蜂の巣みたいになった。
触ってみたらシリコンみたいで気持ち悪い。
痛みが全然ない。

人間ではなくなってしまったらしい。



おそろしくて病院を探して歩き回っている。
どこに行っても病院がないのです。


隣にハハがいましたが、当たり前のようにわたしを眺めている。

2008年7月28日月曜日

どんより。

なぜ


わかっちゃうのか。




わたしからすれば、


なぜそんなこともわからないのか。



悪気がないというのは一番厄介で

わたしの中では最悪にきらいで救いようがないことだと。


こんなことさえもいつか何も感じなくなってしまう
わたしの頭のなかはやっぱり変かも。

2008年7月27日日曜日

無題。

ひとは自分が思うようには変わってくれない。


自分が変われば


もっとたくさんのひとに出会えるかもしれない。


いまは何も決めないで、いこう。

2008年7月26日土曜日

無題。

勘違いってすばらしい。

世の中ほとんどが勘違いで成り立ってるのではなかろうか
と思う。

だんちがーいなかんちがーいでお金を生むこともある。


勘違いは時に甚だ迷惑行為になるもの。


自分以外の他人と接してるときなんて、自然体なわけがない
少なくともわたしは。

2008年7月21日月曜日

無題。

他人と自分。

みんなは自分は世界の中でどのような位置づけなのだろう。

こんな面倒くさいことや意味がないことをこねくりかえして
考えているのは自分だけかな。。。


自信過剰な人をみると恐ろしくなる。何が根拠なのだろうか・・・。
自分以外の他が評価することではないのかと思うけど。


吐き気がするんです。


私はネガティブ思考がすべての原動力になっているので
すべてに対して猜疑心の塊であると同時に異常なまでに
素直ではない。


なんかそこは変えられない。


わたしは解放したり押し込めたり自分の精神状態をいかに
コントロールするかが課題というか今の精一杯です。

2008年7月13日日曜日

無題。

あまり変わっていない。
行動するかしないか、表層的な部分が変わってきただけ。

気づいてはいたけど、わたしはちょっとずれているとおもう。
悪いことではないけど、この現世、今のこの場所では
生きていくのが辛い。

殺したいくらい消したいくらい憎いとか
冷静に感情的なのです。


変わったのは


振り切るくらい大好きとかいう感情はもうこれからは訪れない。


衝動的に多くを求めすぎたり
衝動的にすべてを捨てたくなったり

健やかな営みが望めない。
自分を苛めることになってしまう。
当然のことながら人を傷つけることにもなる。



生産性のない感情をどう形にしようか。

2008年7月10日木曜日

7月7日

のことはすっかり忘れてました。天気はよくなかったですね、覚えてないけど。

忘れたいことは山ほどあります。

情報過多すぎて疲れてしまいます。

いなくなってしまったらいいもの
なくなってしまえばいいもの。


魔法が使えればなあ。

2008年6月30日月曜日

古都巡り。



京都と鎌倉にいってきました。

結構突然思い立って。

意味があると思います。


日常では煩わしい感情に振り回されたりするけれど、
歴史が積み重なりが露わな街に赴くと

ただ自分は生かされていると感じる。

ある意味では間違ってない。


生きてるとか何かをできているとか誰のなにより優れているとか

ほんとは誰も何も言えないのだと。


「生きている」なんておそれおおい。

2008年6月18日水曜日

生え抜き。

いつもいつも同じことでつまずいている。

わたしは自分のことを結構分かっています。
認めてしまえばすべてが振り切ってしまうのです。。。
それは自分が破壊してしまう、イコール終わってしまうということなのです。


怒って感情を顕にするのも嫌なことを嫌というのも大切なことだと思いました。

2008年6月4日水曜日

じぶんがいた。

これまで綴ってきた「つれづれぞうし」を読み返してみた。
日日こんなにいろんなことを感じて生きてる。

もったいない感じ。

溢れちゃいそうで。。。


もっとできることがあるだろうとも思うし
もっと「無」を求めたいとも思う。


いったいどこまでいけばいいのでしょうか。



人の精神構造はミルフィーユだす。

2008年5月28日水曜日

ひさしぶり。

今日ふと電車の中吊り広告を見たら

「ちょいグースのウェッジが失敗しない。」


???

なんだ、、、このレオン的な、、、しかしグースって、、、がちょう?

なにもわからぬ。ゴルフのことらしいです。


見た瞬間にぴんとくる人にはすぐピントくるけど、分からない人には
さっぱり分からない広告っていいと思う。


べつに何がすべてってわけじゃないから。

2008年5月12日月曜日

無題。

なんだか色々煩雑です。

微妙な情報と確かなニュアンスが伝わってるか分からないあの感覚は
結構楽で楽しかった。


確実に掌握できることって敏感に反応せざるを得ないし傷つくこともあるから。




今はなにも自信がないです。。。

2008年5月10日土曜日

面影橋。

早稲田のあたりを通りました。
初めて都電をみました。

それよりなにより「面影橋」というのがとても気に入りました。
こういうネーミングには由来が気になるものです。



面影橋は「俤橋」とも書き、古来から「於戸姫(おとひめ)」
の伝説で知られる橋である。伝説の内容は次のようなものである。

戦国時代に於戸姫という名前の美女が落ち武者と暮らしていた。
あるとき一人の男がこの娘を誘拐したところ、娘が失神し、
それを死んだものと思って置き去りにする。
通りがかった杉山三郎左衛門(すぎやまさぶろうえもん)
という男が自宅に連れ帰り、近くの小川氏の娘として育てたが、
小川氏の友人が娘の余りの美しさに小川氏を殺害して娘を
奪おうとするも娘がその友人を殺害。娘は自分の美しさを恨んで、
黒髪を切り落とし、そのまま神田川に身を投げたという。
村人達はその娘の死を哀れみ、橋からその面影を偲んだことから
面影橋の名前がついたというのである。


「神田川に架かる140の橋」より。



結構めちゃめちゃなはなしですな、、、

2008年5月9日金曜日

むだい。


部屋が片付かないのと五月病のもやもやで、
一日二ついらないと思われるものを捨ててゆく所存でございます。

大切なものは残るはず。


今日の画像:このにゃんこ住所とおなまえの名札ついてます。そして目が四つあるみたいで
こわいです。

2008年5月1日木曜日

逃亡。

本日より海外渡航いたします。
こんなオンシーズンに海外にいくのは初めてです。

三時間前に空港につくのですが、「GWとはいえそれはいくらなんでも早すぎでは
なかろうか。。。」と幾多言われましたが、わたしは空港が好きなんです。
いくらでも時間潰せます。


いってきます。さらばじゃ。

2008年4月29日火曜日

なんだか

とっても貯金がしたいのです。

なぜだろう。


たくさん貯金したい。



今日のお熱は知恵熱か。。。

2008年4月26日土曜日

むだい。

みなさんはじぶんが何者かを考えたことありますか?

この世にこんなにたくさんの人がいて、
比較されたり、受け入れられたりられなかったり。


ちょっと疲れました、その妙な感覚に。



髪を切ります。

2008年4月21日月曜日

情報カタ。


便利な世の中とはいえ、メディア、インターネットは危険極まりない。
みんな自分で自分を生きづらいように追い詰めている気がする。わたしも然りですが…。

情報過多は本来の正しさ情報をいかようにも変形させ、
オビレもセビレもおまけに嘘までつけてわたしたちの前に現れる。

ひとを痛めつけたり、残酷なものなのです。


歪められていない自分の目の前にある真実だけでいいのではないかと思う。
真実のほうがいくらも残酷だったりもするけど。


今日の画像:久しぶりに着物着ました。プロデューサーに「ふかわりょう」
に似てると言われ、、、(笑)

2008年4月12日土曜日

めーじじんぐー。



昨日「明治神宮にいきなさい」とお告げがあり
本日徒歩にて参拝。本殿までの道のりの空気と匂いがとてもすばらしい。
なにげに明治神宮いったことなかったかも。

おみくじ(テイクアウト式)


朝ごとにむかふ鏡のくもりなく
あらまほしきはこころなりけり


こころが曇っているが故に自分の心の中で誤解や間違いを正しく
理解できなくなってしまっている気がします。


導かれた感じがしました。


そして・・・図々しくおねがいごともしてまいりました。
でも私の場合、〜ようにってのはすきではなくて、すべて〜します!
と書いてまいりました。おねがいというよりかは宣言ですな。

2008年4月7日月曜日

今年のさくらは

随分がんばりましたね。

さくらが舞い散るこの季節にぴったりな曲のレコーディングを

昨日からはじめました。。。おそい。。。


事には熟すタイミングというものがあるものです。
ものすごく伝えたいことは、今すぐには伝えづらいもの。


今も大事、時間も大事、思い出も大事、
そしてタイミングも大事。


自分の心の声が一番大事。


さくらが散るもの各々のタイミングなのでしょう。

2008年4月5日土曜日

むかしのなまえ。

けいたいの電話帳登録には、フルネームで登録します。
愛しい方の愛しかった方の名前をフルネームで見ることなかなかないですもの。

印象だけがわたしの心に焼き付きます。


今でも実はなにも忘れてません。安心してください。

2008年3月31日月曜日

花冷え。

環七を車で通っていたら、満開の桜並木。
毎年お花見とは縁がなく、そしてその頃ひとつ年を重ねるのです。

雨に打たれてしなだれる桜も色っぽいではありませんか。


四月になったら知らないところへ出かけよう。

2008年3月22日土曜日

春の妖気。

言ってしまえばよかった。全部ぶつけていればよかった。
言わないことがわたしの中の美徳だった。

愛情と情は違うモノ。
情と愛情の認識を一番まちがっていたのは私のほう。
見失って最終的に溺れ足掻いているのはまったくわたしのほう。


突然にすべてが「無意味」と切り捨てられるのと同じだった。




でも会いたいなぁ。。。

2008年3月16日日曜日

灰色グレー。

自分の目でしっかりと確かめたいと思った。
真実を見つめた上での沸き上がる感情を大事にしようと。
そこで生まれた感情を包み隠す必要も自分のこころに追いやって閉じこめる必要もない。

それが出来ないともう自分はどこへも行けない気がする。

やっとここまで辿り着いた。
自分の心を堰き止めていることは、考えるまでのこともないことだった。
ほんとは自分がいつも気がついていて気がついてはいたけど、拒絶反応を通り越して、
見ざる聞かざる言わざるを貫き通してきたただただ嫌な色をしたもの。


今日の首都高が教えてくれた。

2008年3月15日土曜日

無題。

「今日はぽかぽかしてあったかいよ。散歩にいきな。」


今日はどこへいこう。

ねむたい目をこすって、まっすぐ前を見た。その先を見つめた。


触れてみると確かなやさしさを感じた。。。
わたしには何ができるだろうか。


そんな風に思っている。

2008年3月11日火曜日

無題。

明日のことはわからない。


今日の感情が、刹那の連続が、明日も明後日も続いていくのであれば

かなしい。


絶対に変わらないものと変わっていってしまうもの。


わかりっこない。

2008年3月4日火曜日

無題。

人は心で動く。

確実にそう思った。

2008年2月26日火曜日

無題。

感情を抱くのが疲れるだけ。

それはこころが動いてしまったから。

今まで以上に自分の中のダークなものを排除しようとする自分がいる。


四歳の時とおんなじ。

それは不可抗力だ。


こころのシャッターをずんと下ろさざるを得ない。


感じてもらえないのであれば説明するものでもない。

無意識に、、、相手に相手自身を嫌いになってしまうような感情を
抱かせてしまっていることがあるだろう。

やはり不可抗力だ。
言わずもがな、無意識だから。

2008年2月23日土曜日

東京の空は灰色。



自分の心の奥底を探り当てることになったであろう。

わたしに足りないもの、
すべてに対する信頼。
自己を信頼することから始めよう。そこからわたしに
引き寄せられる出来事も人もより変わってくると思われる。

今までは今まで今日からは今日。
人生はこの繰り返し。何をも受け入れる必要はなくとも
受けとらなければならない。
拒否することはいがいと難しい。
為すがままでいるのか、
もしくは
自分の中の宇宙で受け取る意味を変えるか。
大きな違いであります。

すべてが新たなる出会いだった。
そして別れもあるだろう。

2008年2月18日月曜日

コーナー。



セドナで有名なストーンショップにいく。
入ったとたん、息苦しさと頭痛(泪)

パワーのある石がたくさんあるとこは各々「意志」がある。
それはいいパワーも悪いパワーも共存する。特に人目に触れる石は
宿ってしまうから。

とりあえず何も買えずお外へ。。。たぶんそこには
わたしにとって必要なストーンはなかったのであろう。

今日はスーパーマーケットにいき必要なものを買う。
お菓子を買おうと思ったのだけどあまりの大きさに恐ろしくなってやめました。
しかも日本みたいに小分けになってないから開けたら全部食べる?感じ
なんですか????クワバラクワバラ(泪)


物件もみてきました。住む場所が限られてるので高いみたい。
この吉野窓的なのはなんでしょう、、、お外にはさぼてんがにょきにょき
生えてるというのに・・・in America。

2008年2月17日日曜日

ハハ。


セドナに着いた晩から身体が宙に浮いた感じで夢現である。

ボルテックスと呼ばれるエネルギーが集まる場所にいく。
身体がびりびりするのはもちろん、
ある一カ所で立ち竦んでしまう。

風は冷たいけど日差しが強く暑いくらいなのに、その岩に触れたとたん
異常な冷たさを感じた。と同時にあたたかいエネルギーに包まれる。

「よくきたね。待ってたよ、ずっと」



なにか自分に欠落している、そして探し求めていたかけらちゃんがいともかんたんに
落ちていました。


「ひろって眺めてみるか、手に取ってみるけどまた捨ててしまうのか」


「あなたの思うようにしなさい。自由ですよ。」



必要なモノを手に入れる  とはちょっと違って
感覚的には不必要を知る。
でも不必要は自分にとって必ずといっていいほど必要だったと気づく。


今日の画像:エネルギーが渦巻いている所謂パワーが強い場所では木がねじ曲がって
そして枯れてしまうらしい。

2008年2月16日土曜日

いん セドナ。

それは先月突然思い立ったことでありました。

日本からロサンゼルス、そしていつになったら飛ぶか分からない且つ
なんの前触れもなく着陸する国内線でフェニックス、
サボテンがにょきにょき生える小高い丘を抜けるまっすぐな高速道路を走り
続け二時間。。。長い道のりだった。

私にこの場所はとても深いつながりがある。

そこはセドナ。

今このタイミングでここにくる宿命になっていたのだろう。誘われるがままに。。。


やはりすごい場所だった。
近づくにつれて身体が心が思うがままいきたいところにいける感じ。


そして感情の着地点が見つけられそうです。



つづく・・・。

2008年2月14日木曜日

無題。

わたしの端々から流れ出ている悪を一生懸命隠そうとすればするほど
わたしの中には心を痛めるようなやさしさが流れ込んでくる。

インプット=アウトプット。


何かを得れば何かを失う気がして。。。


知らぬ顔をしていても
わたしはどろどろした嫌な感情を持て余している。


わたしはひとりでいるのがいいのかもしれない。

2008年2月11日月曜日

メロディー。

頭の中にゆらゆらとメロディーが浮かぶ、
いつもと違う風景が視界の中に流れている時。


自分の真実を知るのは自分自身だけなのだと。
誰も教えてはくれない。

でもきっかけをくれる人はいるのかもしれない。
それを気づかせてくれる人はたぶんとても深く傷つくことになる。
私の心に盛られた毒を少しづつ一緒に吸い出してくってこと。


わたしは身体とこころと同時に反応する
そんな刺激を求めている。


こんなわたしは。

2008年1月26日土曜日

神々の住む島は。



バリにいってきました。

その土地の風を感じ人人に触れ、

自分の中の自然と不自然の線引きや
これからのために用意されている選ぶべきものを
感じる心を受け取りました。

雪の東京もなかなかのものです。

2008年1月16日水曜日

無題。

自分が求めることと
自分が求められることの違いに苦しむ。


未来を大事に思えば思うほど人は臆病になり、そして確かめたいことに囲まれる。


まだまだ一寸先を見据えて少しづつ歩いていこうとしよう。

2008年1月7日月曜日

密室。

スタジオ帰りのタクシーの中。

運転手さんの趣味か、、、ひたすら80年代ジャパニーズポップスが流れる。
前奏の一音で「絶対これ知ってる!」と思ったら、斉藤ゆきの「夢の中へ」。

親に初めて買ってもらったカセットテープ。小学校低学年だった思われるが、なぜこの曲を欲しがったか
未だ自分にも分からない。しかもそんなものは買ってもらったこともなかったのに、ハハが井上陽水が
好きだからいいわよっっていう同意で(どんな同意?)買ってもらった。

今聴くとまあ、、、アレンジはBOYS TOWN GANGって感じ。
そして間奏には斉藤ゆきの謎の笑い声。。。しかも間奏中ずっと笑い声で気持ち悪いことこの上なし。


陽水さんのオリジナルを聴いてしまった時、その時はそれで衝撃だったことを覚えてます。

先日

友人に誘われて本田健さんの講演を見に行きました。新年の日比谷公会堂へ。
何かのタイミングでここにきたのかもと思う言葉にたくさん出会い、満たされた気持ちで
銀座のオーバカナルに向かいました。親友とお茶→お買い物→そして当然飲み。のうきうき
銀ブラコース。

楽しいと思うことをやってみるとそこから連鎖してまた楽しいことがやってくる。


いい言葉を吸収し、いい仲間とプラスの波動の中で過ごした。


そしてレコーディングも始まります。

2008年1月4日金曜日

今年は



ニュートラルに生きていく。


それは

不必要なことに意味を与えないこと。



今日の画像:まだ詣でてなかったのでてくてくと近所の氷川神社に行くと、ひとっこひとりいなくて
暗くて怖かった(泪)おみくじは「小吉」でした。